高校時代、英語が得意で国際関係の学問を学びたかったという国際地域学部国際地域学科の成田篤史さん。子供の頃からいろいろなことに挑戦するのが大好きな性格で、大学入学後もサークルやアルバイト、留学と、多くのことにチャレンジ。そんな成田さんは「いくつかの選択肢があったら、自分を成長させてくれそうな方を選ぶ」と言い切ります。難関の奨学金獲得へ向けた準備や海外留学を通じて得た自信は、将来の活躍を大きくサポートするはずです。

漠然とした海外への興味が具体的な目標に

幼い頃からアメリカの映画やスポーツが好きで、英語もよく勉強していました。大学に入学したら、国際政治などグローバルな分野の学問を学びたいと思い、国際地域学部を選びました。この学部は、国際協力や地域活性化などを学際的に学びます。いろいろな分野を幅広く学べることも、私にとって魅力的でした。

入学後は、同じ学科の友達やテニスサークルの仲間ができ、大学生活は想像以上に楽しくなっていきました。そんなときに大学の留学希望者向けの奨学金制度について知り、次第に留学への熱が高まっていきました。大学の海外留学促進奨学金は、留学の目的や期間に合わせて「ファーストステップ型」「チャレンジ型」「アクティブ型」「グローバルリーダー型」の4種類があります。私は「長期留学を対象にしたグローバルリーダー型奨学金を獲得して留学しよう」と決心しました。しかし、わずか5名ほどしか募集しないこの奨学金を得るには、優秀な学業成績を残すなど厳しい選考を通らなければなりません。「絶対、獲得する」その決意から、私の挑戦が始まったのです。

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努力の結果として奨学金を獲得し、アメリカへ

最難関のグローバルリーダー型奨学金は150万円の給付金を受けられますが、英語力はTOEIC800点以上、学業の評点平均4.6以上の成績を残す必要があります。そこで私は、毎朝早くから大学近くのファストフード店で勉強し、授業が終わった後は図書館にこもって閉館時間まで勉強する、という生活を続けました。

受験勉強が終わったばかりで、また勉強の毎日になるのは少し辛かったですが、「奨学金がもらえなかったら留学には行かない」という覚悟が、私の心を支えていました。そのかいあって、最終的にTOEICは895点を取り、2年生までの学業成績も満足の行く結果を残し、選考に通ることができました。努力が実ったことはとてもうれしかったですし、その後の留学や就職活動でも自分を支える大きな糧となりました。

留学先には、アメリカ・アーカンソー州のヘンドリックスカレッジを選びました。大学の交換留学の協定校は、ロサンゼルスなど日本人がたくさん集まる地域が多いのですが、私はあえて日本人がいないところを選んで、英語漬けの生活を送ろうと決めていました。

ヘンドリックスカレッジでは、アメリカの貧困問題や人種問題、アメリカから見た日本文化などの授業を履修しましたが、授業の進め方が日本とはまるで違います。大教室の講義形式ではなく、少人数制のディスカッション方式が基本。予習の段階で、1科目50~60ページくらいのテキストを毎日読み込み、ある程度理解したうえでディスカッションに参加し、自分の意見を述べるという授業です。最初はまったくついていけなくて苦労しましたが、わからなくても恥ずかしがらず積極的に発言することで、英語力も身に付いていったのだと思います。おかげで、帰国後はTOEICのスコアが920点まで上がりました。

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積極性が認められ、その経験は自信となる

留学体験を通じて学んだことは、「自分でやれることは全部やろう」という気持ちの大切さです。授業についていけないときも、わからなければ何度でも先生や友達に食い下がって納得できるまで聞く。そういう姿勢で臨むことで、少しずつ周りから認められるようになりました。先生がほかの留学生の前で「篤史ががんばっているんだから、みんなももっと発言しようよ」と、手本にされたときはうれしかったですね。

この4年間で、私にとって一番大きな出来事は留学体験でしたが、大学生活ではサークル活動やアルバイトなど学業以外でもいろいろな経験ができます。その中で、私が守ってきたことは、「自分の前にいくつかの選択肢があったら、迷わず自分を成長させてくれそうな方を選ぶ」ということ。それが大学生活を充実させられた要因だと、確信しているからです。

社会人になったら英語は必須だと思い、がんばってきた結果、英語が社内公用語である楽天株式会社から内定をいただきました。楽天の企業理念に「常に前進」という言葉がありますが、社会に出てからもその精神で前に進み、成長を続けていきたいと考えています。

成田 篤史さん国際地域学部 国際地域学科 4年

  • 内定先:楽天株式会社
  • 所属ゼミナール:藪長千乃ゼミナール
  • 出身校:埼玉県立浦和高等学校

  • 掲載内容は、取材当時のものです